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help リーダーに追加 RSS 『信長公記』で桶狭間の戦いを読んでます。(第卅六回目)

<<   作成日時 : 2007/01/20 13:02   >>

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閉話休題。今日は、NHKが大河ドラマで山本勘助を始めたので、海上知明氏の『信玄の戦争/戦略論孫子の功罪』というのを読みました。

因みに、NHKはみていません。

『信玄の戦争』には、一部教えられる見解もありますが、著作が標榜する「社会科学性」には、まったく欠如していることには驚かされます。氏が、「社会科学」によって武田信玄を分析するという意気込みはわかりますが、標榜する「科学」とはお世辞にも言えないと思います。

「科学」というのならば、模型(仮説)がなければなりません。

ですから、氏の場合は、「孫子型」「呉子型」「マキャベリ型」という人間類型をつくって分析しなければならないのですが、どこにもモデルを提示していません。

特に、孫子の抽象性の高さは普遍性を表しますから、すべてに共通するものであるはずです。それでは、他の類型と区別できなくなります。これら三者の明確な相違を明らかにしなければ、科学的な分析などできないだろうと思います。たんに、信玄の事跡を孫子や呉子で解説したものでしかないようにみえます。

「科学」というからには、「孫子型」の人間は必ずこのように行動し、「呉子型」の人間と対戦したならば此のような戦闘になり、「マキュアベリ型」の人間と同盟したら彼のような結果になるというモデルを、議論の最初に提示しておかなければならないはずです。

然るに、それがないのです。
何処が科学だ。まるで、子供が物理法則を社会現象や歴史に当てはめて、社会法則を発見したような気持ちになっているのと同じではないか。例えば、エントロピーの法則で歴史の離合集散を説明しようとするのに似ているが、そこまでにも至らない。

最初にジェミニの内線・外線という概念が出てくる。次に地政学と国際政治学の概念だ。農民兵を分析するに至って、やっとマキャベリと孫子が出てくるが、出てきただけです。

両者とも「共同体」を重視したというだけで、違いを説明することはない。呉子は顔も出さない。どこが科学だ。

それに、「共同体」軍については旧帝国陸軍がその最たるものですし、官僚制の腐朽の極地、制度疲労の標本として、小室直樹氏によって分析しつくされています。「共同体」軍が「兵農分離軍」より強いなどというのは、科学でも何でもありません。

そして、兵農分離を進めた常備軍は脆弱なのに、一般人はそれを近代軍と短絡しがちだと嘆きます。
次には戦国期の軍隊が農繁期に戦えないというのは誤解だと正論を述べるのですが、何れも氏の科学である「類型化」とは無関係です。

そして、信長軍と信玄軍が戦ったならば、一瞬にして信玄は信長軍を葬りさったろうといい、溜飲を下げているが、科学的であるとはいえません。何故なら、その理由が軍勢の基幹となる将士が農兵だからだというからです。つまり、共同体であるから農兵は強いといいたいのです。孫子も呉子もマキャベリも関係ありません。

では、同じ「共同体軍」同士が戦ったならば−−−
例えば、遊牧民のモンゴル軍と一所懸命の鎌倉武士はどちらが強かったでしょうか。???ことほど左様に科学とは言えません。

話を信長と信玄に戻しますと、
史実は三方ケ原では信玄が勝ち、上洛戦では信長が勝っています。信玄は途上で病没しているからです。

これを科学しますと、ランチェスターの法則でよく説明できます。
一回限りの戦闘である三方ケ原合戦は第一法則で説明でき、それからの数次にわたる戦闘は、第二法則を適用しなければならないからです。つまり、鎖につながれた熊は、人の敵ではないということです。考える次元が違うのです。

次に、とんでもない説が飛び出します。

農兵比重が高い軍には、単位面積あたりの兵士徴発が多くできるから有利であるというのです。
これだけみると、筋が通っているようにみえます。
兵農分離していれば、農民を兵士に徴発することはできないからです。

ですが、これは胡散臭さを感じます。農兵はプロではありませんから、武技に劣ると思われるからです。

実際には農兵分離の方が、絶対的に多数の兵士を集めたのですから、史実に反します。
ですから、これには誤魔化しがあるはずです。

兵農分離とは「農民を兵士に徴発しない」ことなどではないことを隠しています。

豊臣秀吉は、田畑を捨てて足軽・武家奉公に出てくるのを止めようとして、人返し令を発しています。兵農分離は農地を耕すより、魅力があったから人が集まったのです。社会全体にそういう雰囲気もあったのです。

また、為政者側からすると、土地の一職支配を貫徹することが、兵農分離の目的なのです。

一方は、自由人としての「ご恩と奉公」ですが、他方は「官僚としての任務と俸給」です。

現に、一回一日限りの戦闘であれば、農民を根こそぎ兵士にできれば、兵数ではかてるでしょうが、一度消耗戦になれば補給が追いつかなくなるのです。

それを証明した端的な史実が『信長公記』にもあります。即ち、信秀が死んで謀反した山口九郎二郎と戦かった赤塚合戦です。
このときの九郎二郎は千五百の兵を集めることができましたが、信長は八百程度でした。戦闘は勝敗がつかなかったようですが、それ以降の駿河勢は鳴海城に取り籠められてしまい、二度と千五百の兵を集められなかったのです。
もっと象徴的な戦争が、秀吉と家康が戦った小牧長久手の戦いです。家康は、長久手で勝ちましたが秀吉に屈してしまいました。

まだ孫子モデルは登場しません。
今度は一般にいわれる武田軍は火力や生産力に劣るというのは、産業革命以後のことであり、戦国時代に適用はできないと主張されるのです。と、同時に返す刀で、信玄の合理主義が軍事理論と経済合理性を追求した結果、材料費無料の投石隊を採用したのだというのです。

こういう人が困ることは、細部には聞くべきものが多くあるが、全体としての構成が間違っていることです。

弾丸と火薬は高価で、礫は無料だから経済合理性があるというのは、B29に竹槍と言うのとたいして変わりません。

それに、石は弾丸に比べて重く嵩張りますから、川原でもなければ手頃な石が何処にでも転がっていて、手軽に手に入るわけではないでしょう。ですから、石を運搬する労力は大変な負担になるはずです。

そうしますと、武田家でも弓隊の代わりに、何時も投石隊を使用したわけではないと思います。

また、「限られた費用の配分としては、鉄炮よりも騎馬に振り向けられるべきである」という見解も、一見正しいようであっても、間違いでしょう。
何故なら、武士の乗馬は身分であり、道具ではないという歴史的事実があるからです。

これを正しく説明することは、第卅四回目にランチェスターの法則でやっておきましたから、興味のある方はそれをご覧ください。

つまり、質を高めて数に対抗しようとした場合には、兵数が二倍の敵なら四倍、兵数が三倍の敵なら武器の精度を九倍に高めなければならないということです。肝心な点は、数の増加に質で対抗するには二乗倍の精度・効率を高める必要があるということなのです。
要するに、技術的な優越によってもたらされる利益は極僅でしかないというのが現実なのです。革新的な技術でなければ、数には対抗できないということです。
そしてこれは、朝鮮戦争やベトナム戦争が証明していますと書きました。長篠合戦のときでさえ、一千挺の鉄砲を揃えながら野戦築城しなければ、敵の突撃に抗することはできなかったのです。

以上、48頁まで。










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戦国時代雑記
2007/08/20 00:57

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