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help リーダーに追加 RSS 『信長公記』を読んでます。(第一日目)

  作成日時 : 2006/12/09 10:08   >>

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読み始めた本は、教育社新書の原本現代訳『信長公記』です。
面白そうなところからの順次、拾い読みです。
今日は、(廿四)「今川義元の最後」の条です。

あれゝ?
「信長公記」には、今川義元が沓掛城にいたとは書いていないぞ。
今までは、義元は沓掛城から出陣していたと思っていたのに。

「十七日、今川義元沓懸へ参陣」とあるだけです。
十八日の義元がどこにいたか、どこに泊ったかは書かれていません。
もちろん、十九日に義元が沓掛城を出陣などとも書いていません。
十八日は織田方の探索の結果から想定された今川軍の行動予定が書かれているだけです。

それなのに何故、義元は合戦当日、沓掛城から出陣したことになるのでしょうか。 不思議です。

「十八日夜に入り、大高の城へ兵糧いれ」とも書かれています。それならば、なぜ義元も大高城に行ったとは思わないのでしょうか。
ふ〜む。ますゝゝ不思議です。

常識的に考えると、大高城へ兵糧を運び入れたのですから、とうぜん義元も大高城に入城したのではないでしょうか?
絶対、そこに泊るはずだとは思いませんか。翌朝には丸根・鷲津の砦を攻めようというのですから、近い方が都合がいいはずです。

それに、大高城へ兵糧を運んだのは、松平元康なのですが、彼はその夜のうちに岡崎城へ取って返して、翌日未明に再び出陣してきたとは思えません。
絶対、十八日の晩は大高城に宿泊して、合戦当日は大高城から出撃したに違いないと思うのです。

元康が大高城から出陣して丸根砦を攻め、そのすぐ西にある鷲津砦を朝比奈備中守が、受け持ったらしいのです。
これは、面倒なことになったに違いないと思うのです。

朝比奈備中守の部隊は東の沓掛城から来ます。
一方、大高城にいたと思うのですが、元康の部隊は、南から行軍してきます。
これは絶対、道路上で克ち合うに違いありません。
お互い、何千人かの長い隊列でしょうから、絶対にぶつかっています。

この事態を避けるには、朝比奈隊が迂回して鷲津砦に行く必要があります。
東海道で鷲津砦の北方から大きく迂回て、西側に回るのです。

でも、果たして、そんな遠回りをしたでしょうか。
したとは思えません。
それならば、元康と持場を交代したはずです。
朝比奈勢が丸根砦を攻め、松平勢が鷲津砦を攻めるのです。
でも、そんなことをしたとは書いてありません。

よく分からないので、他の本を読んでみます。
とりあえず、小和田哲夫著の「桶狭間の戦い」と、旧帝国陸軍参謀本部編の「桶狭間の役」を借りてきますので、今日はここまで。









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