プロフィール
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歴史読本3月号、軍事カリスマの原点
昨日、歴史読本4?月号、連載第4回「軍事カリスマの原点」を立ち読みしてきました。 ...続きを見る |
2008/03/01 10:23 |
信長方は優勢であったか?
今川方は沓掛・大高城を押さえて着実に西進していることから信長優勢というのは疑問と指摘を受けたことについての、小生の考えです。 ...続きを見る |
2008/02/20 20:09 |
稲生の戦い
泰巖宗安記さんのブログに、桐野作人氏の『軍事カリスマの原点連載三/歴史読本』について「稲生原の戦いの発端を道三の死がきっかけとされた方は、今までいらっしゃたろうか」とありました。 ...続きを見る |
2008/02/08 11:34 |
馬借
永禄十二年(1569)正月、上洛を果たして岐阜帰った信長の下へ、三好三人衆らが公方様御座所の六条本圀寺に攻めよせたという飛脚が参着します。 ...続きを見る |
2008/01/31 16:30 |
伊勢神宮への手紙
がんちゃん・さん からのご指摘で原文・書き下しおよび訳の誤りを鋭意訂正中です。(2008.2.15)・・・と云うことで、この記事を読まれる方は、コメントまで読んで下さる必要がありますので、ご注意ください。 ...続きを見る |
2008/01/24 08:19 |
今川義元の祈願文
今川義元が伊勢神宮に祈願した書状があります。何時ものように、原文は歴探さん<http://rek.jp/index.php?UID=1191942622>から拝借してきています。 ...続きを見る |
2008/01/13 15:03 |
沓懸の到下
『信長公記』には、 ...続きを見る |
2008/01/10 09:59 |
水野十郎左衛門尉への手紙
これから話題にする書状の最大の問題は、その書かれた「年」です。『豊明市史』などでは「永禄三年歟」とされているようですが、これについては、去年十一月廿七日付けの「水野十郎左衛門尉」で永禄二年のことであろうと小生は結論しましたが、ここまでの六通の書状を見た現在でもそれに変わりはありません。 ...続きを見る |
2008/01/07 15:06 |
今川義元の手紙
さて、この文書は一般には「山口左馬助が今川方のために働いてくれた」と過去形に考えて、義元は左馬助のしてくれた事に謝意を表明しているように考えるようです。しかし、「可」という文字には過去形はありません。それは推量であれ確信であれ決意の意味であれ現在形の詞なのです。ですから、義元が喜んだのは左馬助が仲介の労を取ることになったことに、安堵と期待を示したことになると思うわけです。 ...続きを見る |
2008/01/05 13:13 |
鵜殿長持の手紙
この書状は難解です。小生の手に余るものですが、現在まで解読し得たと考えるところまでご披露したいと思います。 ...続きを見る |
2008/01/04 08:26 |
織田信秀の手紙
水野十郎左衛門のもとへ手紙を送っているのは斎藤道三だけではありません。織田信秀も送っています。・・・・・・と、言うよりも、十郎左衛門の方から気を使って手紙を出したことへの返事なのですが・・・・。 ...続きを見る |
2007/12/31 08:31 |
長井久兵衛の手紙
道三が安心軒と瓦礫軒に託して水野十郎左衛門に手紙を送ってから二日後、今度は長井久兵衛秀元が手紙を送っています。道三が家臣に命じて再度の便りを今度は、水野十郎左衛門本人に宛て直接送っているわけですが、これは二度も同じ内容の手紙を出すこと、つまり催促しなければならないことは、沽券に係わることですから避けたわけです。そして、重複している場合を考えて、更に詳しく事情を説明しています。 ...続きを見る |
2007/12/30 08:09 |
斎藤道三の手紙
ここに、斎藤道三の極めて興味深い手紙があります。 ...続きを見る |
2007/12/29 08:34 |
刈谷城の謎
先日、歴探さんのHP<http://rek.jp/index.php?UID=1197909702>を訪問しました。そこでは、刈谷城が今川方になった時期を考察しておられました。そこで紹介されていた数々の史料はとても興味深いものです。小生、その見解について色々質問させていただいたのですが、その結果として考え至ったことを書こうと思います。 史料の原文は歴探さんのHPからコピーさせてもらいます。 ...続きを見る |
2007/12/22 10:23 |
織田家の寄親寄子制(その2−2)
さて、家督相続から桶狭間の戦いまでの『信長公記』の記事を見るのですが、 その前に今川仮名目録追加第二・三条で、桶狭間の戦い当時の今川家の寄親寄子制を窺ってみます。 ...続きを見る |
2007/12/21 08:34 |
今川仮名目録追加第三条
今川仮名目録追加第三条の一般的な解釈は、 ...続きを見る |
2007/12/18 08:09 |
織田家の寄親寄子制(その2−1)
さて、ここからは信長の時代に入ります。 ...続きを見る |
2007/12/16 16:59 |
織田家の寄親寄子制(その1)
織田家の軍制を寄親寄子制がどのように行われたかという観点から、『信長公記』を読んで考えてみます。 ...続きを見る |
2007/12/14 16:26 |
万秀寺で織田信秀の葬儀が行われたか
万秀寺(万松寺の間違いです。残念ながら表題は直せません。)での信秀の葬儀において、相当に振舞った弟・信行に対し、不作法な姿で現れて抹香を仏前に投げつけて帰っていった信長の姿が『信長公記』に書かれています。 ...続きを見る |
2007/12/12 10:46 |
信長の御狂い
泰巖宗安記さんに紹介された『桶狭間の真実』は、小生の近所の本屋にはありませんでした。郊外の大型店舗を二軒も回ったのですが・・・田舎ですね。 ...続きを見る |
2007/12/03 09:57 |